舞踏馬鹿の独り言
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舞踏馬鹿の独り言 Ⅸ
正朔
空っぽの体 Ⅱ、東北歌舞伎2の頃、
(「」内は土方先生の言場です)
先日8日間の海外からの受講生を多く含んだ集中ワークショップを行い、そうした方々も参加し予想以上に多くの方々が土方巽研究会に集まられトークや質疑応答も終えてみて、やはり基本的な部分を再度書かせて頂きます。本来体に教え込まれた事を言語化するにあたり、肉体としての言語を使い、踊りとしての文章をと心がけていますが、私の無能さも有り、言場が体からはぐれて受けとめられる事を恐れるからです。
研究会では『空っぽの体という事が今一つ理解出来ない、空っぽになってしまったら踊りや作品をどうやって作れるのか?』
という質問が有りました。普通に考えれば当然の質問と思います。しかし、この当然と思われている意識と体の関わり様、立ち位置を変える事が舞踏の出発点だと思っています。踊り手は体がキャンバスです、器として考えても同様です。器を空にしなければ新たな物を入れられないか、あるいは異物に成ってしまいます、百パーセント空にしなければいけないのです。そうして初めて感覚が鋭敏な体に成れるのです。
『自己に執着すればする程、人は真の自己を失う。自己を無くせば無くす程、人はその人自身に成る』
『認識の所作とは反対の所作が芸術の所作という事になります。芸術家は認識する者ではありません、芸術は今ここで最も広い意味において、むしろエロス的な原理と関係しているのです。エロス的原理は認識の原理ではない。受肉と現実化の原理なのです』
これらはミヒャエルエンデからの引用です。ある高名な写真家がインタビューで
『シャッターを押す瞬間の最大の敵は私自身です。今この目の前にある美しい風景に私が私自身という色を付けてしまう事が最も恐ろしいのです』
突然空っぽになれと言われても難しいと思われるでしょうが、実は日常一般の方がいくらでも行っているのです。『我を忘れて』『我を失い』という言葉が有りますよね、一心に何物かを見続ける子供の後姿、望郷や恋愛に立ち尽くす姿、彼らは体から意識が解き放されているのです。災害に逃げ惑う人々の体、極限近く疲労した体、夢中になって興味に翻弄される体、そして細かな作り物を作る職人さんの体、こうした職人さん達が作品を見つめる様に、自分自身の体やそこに起きている事を見つめ続ける意識の在り方。
「自分を客体として扱えるようになる。自分を自分が客観的に振付ける。自分を舞台に花のようにいけてみる」
そうした意識の在り方を俯瞰した目と私達は呼んでいます。
テレビでスポーツ選手の体の状態を見た時、思わず見入ってしまった事が二度有ります。知覚が完全に開ききり、肉体者としての嘘偽りの無い動きが的確に繰り出され続けます。終了後魂がその体にどう帰還して良いか困惑しながらも寄り添っている、そういう姿が有りました。ゾーン体験という物はひょっとして私達と近い所に有るのではと思っています。忙しい体の中に意識の居所は無いのです。意識が肉体を支配する事からの別離、そうする事により器としての体は鋭敏になり、意識との新しい関係を結ぶ事が出来るのです。
私達は空っぽの体に成れてから他の稽古に入るのではなく、これは全ての要素において必要な事であり、やはり容易に修得出来る事ではない為、様々な舞踏譜を繰り返し時間をかけて稽古をする間に並行して体得していきました。しかし、先にも申し上げたように、本来誰もが出来る事で、私達も誰もが早い段階で出来る時が有りました。しかし、持続する事が難しいのです。元の意識の立ち位置へ帰ろうとする欲望を持っている事をよくよく知り、すっかり諦めきる事が重要です。どの様な状態が悪くどの様な状態が良いのか、体で知る事が出来れば、自然と体得出来るのです。
「経験より体験を大事にする」
「体を開く事、食べられる事、体を明け渡す事」
空っぽになった体が為すのでは無く為されるから動く、
「だまされ易い注意力を維持せよ、無目的、私を食べて下さい」
「舞踏とは集中では無く、拡散された集中力を持続せよ」
「たくさんの密度を持った方が良い」
ワークショップでは様々な知覚、空間からの関わり、材質の違い、強度の違い、肉体における距離の測定、そして何物かに成る稽古、その何物かが居る風土をも帯び、更にその何物かとはおおよそ関係の無い様な要素を細かく帯びる事により何物かに成っていく稽古。理解では無く本当の事として受け入れる体の在り方。
「舞台の上で転んだらハッと驚くでしょう、百回転んだら百回驚けなければ駄目なんだよ」
こうした様々な稽古を受け、ワークショップの終わりには、その日習った要素を使い、テーマを与えられ即興を踊りました。先日の研究会でのトークでその話で盛り上がった時、聴講者の方から第二の質問を頂きました。
『ワークショップで行われている即興と作品における振り付けはどの様な関係にあったのでしょうか?』
それはある意味不自由な状態を体に纏うわけですが、そうした中でも何物かであろうとし続ける事により、自由に動ける体ではけして出会えない物と出会い、時には体内に入り込み、体は体で自分の知らない体に変貌していく状態を知覚し、空間すら変貌していくのを感じます。そうした舞踏体験を様々なバリエーションで味わう事により、通じの良い体、発火しやすい体、舞踏体にに近づく為に先生が丁寧に体に触れてくれた時間だったと思います。
公演ではそうした体に舞踏としての振り付けが行われます。
「即興が大事なのでは無く、即興性が大事なのだ」
作品という物を非常に大事にしていたのです。作品の為の振り付けは質量とも多くなり、緻密でスピードも早いものでした。けして失敗は許されません。東北歌舞伎2の初日、終演直後遠くのオペ室から楽屋へ向かい走ってくる先生の足音が近づいて来ます、激しくドアが開かれ、出のきっかけの遅れた女子を激しく叱りまくり、その女性は大声で泣き出してしまい、あまりの喧騒に客が誰も帰らなかったそうです。しかし、他の場面で更に大幅に遅れてしまった新人男性チームは総毛立つ思いで立ちすくんでいると、先生はゆっくりとこちらを振り返り、静かな声で
「どうしたの、僕ビックリしちゃった」
と言いゆっくりと近づいて来るのですが、先生の左右の黒目が外側に開いていて非常に危険な状態なのは誰もが感じました。すると何にも悪くない和栗さんが割って入り
『私が間違えました』と言ってくれ
「お前が間違えただと」嘘をつけという風に一睨みし先生は去っていきました。その夜稽古場で寝ていると、深夜突然先生が駆け下りてきて、明け方まで振り直しが続き、翌日劇場でも新しく振り直しが続き、本番中でも照明きっかけが変わりました。本番の濁流の中、アンテナを張り続けていなければ何が起こるか分かりません。
後日先生が大切な物を扱うように、その年の6回の公演について
「私はこうして試作を繰り返してね、それぞれの作品を薄くスライスしていき、良い所と良い所をくっつけてね作品をつくるんです。私はいつからか出来るだけ細い物、小さい物、薄い物、希薄な物にこだわってきました。その中にはめくるめく様な深い物、大きな世界が有るんです。でもね、なんか最近、又野卑な踊りが踊りたいなーと思うんです」
翌々年、銀座セゾン劇場のこけら落としの公演に大野先生始め舞踏家を総結集し、自らも風神雷神を踊るんだと嬉しそうに語っていました。恐ろしい冬が来る事を誰も知らず、それはまだ夏を迎える前の頃でした。
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