舞踏馬鹿の独り言
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舞踏を30年、演劇にも6年程関わらせていただきましたが、
私達は現在舞台作品を作るにせよ、ワークショップを行うにせよ、
その舞踏や演劇など他のジャンルにせよその技術を使う事は有益であれば使うべきですが、
その様式に縛られるのではなく、
まず舞台表現であるという地平から立ち上げなければ、
何も生み出されないのではと思っています。
そうした物はお客様への思いに対する表現のストッパーになりかねないからです。
演者の体には既に生きてきた歴史が有り、お客様にも生きてきた体が有り、
その共同作業によりドラマが舞台に始めて生み出される。
生きる為の呼吸が呼応しあい、新しい世界が始めて現前化し拡がっていく。
宮沢賢治の言う「宇宙意思というようなものが有って、あらゆる生物を本当の幸福にもたらしたいと考えているもの」
に皆が抱かれる瞬間が劇場にひと時でもあれればと真に願います。
現在災害不況に喘ぐ世界ですが、
人にはもともと死を前提とした生きる為の様々な葛藤を抱えなければなりません。
死に対する生、苦痛悲しみに対する安らぎ喜び、
その負の要素ばかりを見るのでは無く、その対極の要素を融合させ抱え込み
新しく生きる為の勇気を生み出す力を与えられるのが表現だと思います。
作業としてはたんなる即興や混沌を目的とするのではなく、
賢治が行なった詩や文学作品のシーン言語存在の在り方などを一度解体し、
現在の私達にとってより必然性の在る切実な再構築が要求される事となるでしょう。
様々なシーンのコラージュにより繊細であり、スリリングな展開も可能と思います。
意味のつじつまより世界観のつじつまをより重要視したいのです。
言葉の問題においても、
演劇における滑舌の良さによる意味の伝達よりも言霊の重視、
それは音声による言語であるより肉体言語として、
肉体のたたずまいとして伝わる言語性、あるいは肉体の状況における素材性から発せられる音声
肉体から肉体への強い共鳴共振を望むが故です。
賢治の望む宇宙意思の中、
命の芽吹きをそっと包み込める器を作り
ひとにぎりでもお客様に持って帰っていただける喜びを添える事が出来たのなら。
ただただそれが私達の願いです。
舞台表現者としてドラマ性は存在するという信念のもと
あえて演劇枠に申し込ませていただきました。
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