舞踏馬鹿の独り言
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舞踏馬鹿の独り言 Ⅶ
> 正朔
> 土方先生と初めて呑んだ日の思い出 Ⅱ 『過剰なる贈与欲』
> (「」内は土方先生の言葉です。)
> 皆で朝食を終え歓談しながらも仕事へと一人二人と消えていき、私も失礼かと思い、特に予定は無かったのですが仕事にと立ち上がると「まだいいじゃないか」と引きとめられ又腰を下ろしてしまいました。夕べ暴れた男が殊勝に小さくなっていると「なんだ、今日は随分静かじゃないか」と言われ『俺も仕事休もうかな』と彼が言うと「仕事は大事です、仕事はしなければいけません、仕事に行きなさい」と帰してしまい、結局先生と田鶴濱洋一郎さん(東北歌舞伎計画の美術家)と三人になってしまいました。二人は芸術や哲学を次々と語り合い、私ごときが口を挟むなどもっての外で、私は何故今ここに居るのだろうと思い続けるばかりでした。昼過ぎに心地良い音をたてながら第二の師匠が階段を駆け上がってきて、満面の笑みを浮かべて干し芋とお茶を入れてくれました、ただただ恐れ多く私はますます小さくなるばかりでしたが、しばらくすると、田鶴濱さんと第二の師匠は打ち合わせで出て行ってしまい、ついに先生と二人きりになってしまいました。
部屋は四方壁と襖に囲まれた六畳程で、明りは片側の床から尺高の小窓二つから入る外光だけです、光も闇も粒子に思え、この部屋だけは確実に日常から隔絶されていて、まるで時が止まった空中に浮かぶ小部屋にいる様でした。その静寂の中、突然小石が落ちて来た様に踊りの話が始まり、多くの舞踊家の踊りを身振り手振りも加え詳しく説明し、更に歌舞伎も含め群舞の演出にまで至り、わずかな動きと音声、それに遠くを見る優しい目の輝きだけで踊り続ける姿は果てしなく続くのかと思われました。何故こんな無知な私に先生はこれほど貴重で膨大な行為を浴びせかけるんだろう、その時の私にはほとんど吸収できず、ただただ呆然とするばかりでした。すると突然大きく息を吐き大の字に倒れ、「これが純粋怠惰だ」と微笑み続けたのですが、その姿は脱力というより、光の粉が舞い上がり続ける様に見えました。この後私が無思慮な発言をしてしまい、「俺の体に入って来るんじゃないよっ」と叱られすっかり萎縮していると、「君何処から来たの」私の住所を言うと、「行った事有るよ、美味い物食べたんだけど、何だったかな」話の内容とは裏腹に先生の様子が次第に変わり、気が付いた時には部屋中びっしり重い闇に覆われていました。「俺人を殺したんだよ」いけないっと思いました。昔私の地元で、金粉ショーの松明の火が袖幕に引火し火事になり、そこで舞踏家が一人焼死した事件を私も知っていたのです。先生自身は現場には一切関与してはいないのですが、それでも「俺は舞踏で人を殺してしまったんだ、あいつは一度火の外に出て来たんだよ、なのに何かを見てアッと叫んで又戻っていってしまったんだ。あいつは何を見たんでしょうねー、何を見て戻っていってしまったんでしょうねー。彼の父親に『先生、どうしてですか』って聞かれたんだ、俺は何も答える事が出来なかったよ」私に何が言えるでしょう、何も言えずにいると田鶴濱さんが帰って来ました。又様々な話が始まりましたが六本木の先生の店に行こうという話になり、タクシーに乗る際、さすがに私はここで失礼しますと言ったのですが、やはり帰してはもらえませんでした。
車中「どうやったら金儲けが出来るか分かるか」と聞かれ答えられないでいると、「イメージを売るんだよ、イメージさえ付ければ、高ければ高いほど物は売れるんだよ」稽古中イメージという言葉を嫌っていた先生からその言葉を聞き、何か意外な思いがしたのですが、車を降りしばらくすると花屋が有り、外に置かれた花を見て先生が嬉しそうに振り返り「オイッ、花だよ」と一輪取り上げ気持ち良さそうにその臭いを嗅ぎました。店員が駆け寄り値段を言うと「貴様、花を売ると言うのか、貴様は花を売ると言うのか」と詰め寄っていきます。私は慌てて金を払いましたが、先生はまるで野道を歩くように、その花を空にかざし鼻歌を歌うように歩いていきます。その先の繁華街のビルに据え付けられた巨大なサンタクロースの飾りが両手両足を動かしているのを見つけるとオーッオーッと目を輝かし私達に指差し、人込みの中サンタに駆け寄り対峙し、ウオーッウオーッと絶叫しながら両手を動かし続け、時折ウオッウオッとその興奮を伝えようとこちらを振り返り見ます。店に着くと元藤さんが私達を止めました、当時風営法が布かれ裸に対して規制が厳しくなり、監視の為に客として警官が来ていたのです。しばらく向かえの小料理屋に入り又芸術談義です、思えば夕べから呑み続け、先生は話しっぱなしです。舞踏への思いとその知識量には本当に驚きました。店に戻るとまだ警官達は居て、先生が「その二人を呼んで来い、俺が血だるまにしてやる」と叫び、二人はやって来ました。押し殺した声のやり取りとにらみ合いが続き、今夜は私も留置場かなと思いましたが彼等が帰る事により事無きを得ました。別の店に行き、ショーが始まり先生はオペ室に入り照明音響を操作しています、私はその後ろで背中を見つめていました。その背中は大きく美しく、とても愛おしく見えました。ショーが終わり客がいなくなると先生はビートルズを流し、イギリス国旗のハンカチを両手で胸前に垂らしてわずかに揺らし、私の目を凝視しながらステップだけで踊り続けます、私はどうして良いか分からないのですが目を離す事ができませんでした。次にフラメンコの店に移りました。元藤さんが今日は大手商社の貸切りだからと止めるのも聞かず店に入り、不愉快気な客達の視線の中「オーイ、裸はまだか、俺は裸が見れると言うからこの店に来たんだ、裸を出せ」と叫ぶとフラメンコのギターリストとダンサーが踊り始め店内を回って来ます、私達の所に来た二人が演技では無く厚い親しみを持って先生に絡んでいったのが印象的でした。店を出て次は何処へ行こうかと迷っている先生に田舎者で表現界も都会の歓楽街も知らなかった私はすっかり疲れてしまい、『先生、稽古場が良いです、アスベスト館に帰りましょう、稽古場が良いです。』と訴えるとしょうがないなーという風情で稽古場に帰る事になりました。
稽古場に着くと第二の師匠も帰ってきて四人で静かにお茶を飲みます。しばらく和やかに話をした後、「オイッ、お前、さんざん飲ましてやったんだから、何か置いてけっ」と先生は言いました。体を置いてけという意味かなと咄嗟に思いましたが「別に話で良いんだよ、面白い話を置いてけ」先生の前で私が何を話せるでしょう、「お前美容師なんだろう、美容の話で良いんだよ」取るに足らぬ事を私は必死に話しました。すると先生は楽しそうに聞いてくれました。「よーし、お前に何かやろう」と所蔵の美術品を棚から差出します。これほどの膨大な物を頂き、何も返す事もできずに何を受け取る事ができるでしょう。私は『とんでもないです』と断りました。すると又他の物を取りに行き「これではどうだ」『とんでもありません』と又断り、こうした事が何度も繰り返され「お前は何だったら受け取るんだ」と怒られ、壁に掛けてある大きな絵を外しかけると第二の師匠が『先生、それは』と止めに入りかけ、私は頭を下げ『私は何も頂けません』と言い、『私は先生とお会い出来、こうしてお話し出来ただけで充分過ぎるんです』と心の中で叫びました。先生はしょうがなさそうに座り、笑って煙草を吸っていました。「じゃ寝るか」の一声でこの日は床に就く事になりました。明け方田鶴濱さんに起こされ『行くぞ、今出ないと帰れなくなるぞ』との声に、帰路につきましたが、家までの五時間の電車の中、私はただただ涙が止まりませんでした、何故という考えが浮かぶ余裕も無い程、涙が溢れ続けました。
稽古場のやり取りも書いてある、第二の師匠の文章が有ります。この文章は舞踏文章として素晴らしい物です。もし呼んで頂けたらと思います。現代詩手帳、1987、4月号、火気厳禁体として。
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