忍者ブログ

正朔ー舞踏 SEISAKU-BUTOH DANCE

舞踏馬鹿の独り言

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2002年「廃人倶楽部」場内配布用文章

背後へ落下し続ける
跳べもしないのに散り落ちて行く崩壊感覚
虚無の空洞が絶望という光を身に浴び沈黙する
最初から私はどの空間においても非在なのだと
伝える為に
揺れ動く非在の断層
私は一本の揺れ立つ精子として今誕生します
世界が存在する為に
生命は肯定されるべきものである為に
死んでいった物質、細胞、命
彼等は生きているのに
生きたまま埋葬しようとするのは誰なんですか
あなたの日常の中に
あなたの手についた血糊を汚らしく拭っているのは
実際誰なんですか
決別します
今新たに盲目の無垢なまっさらな誕生を致します
私は人間がとても大好きです
でも残念ながら
私は人間が本当に大嫌いなんです

PR

舞踏家 関由美子に捧げる

関由美子という舞踏家がいました。
彼女の死を私は長く知りませんでした。
彼女の死を知った時、
取り乱した私ですが
彼女への思いとは何なのか
分かりかねています。
長く舞踏活動を共にした彼女に
愛という言葉が
うまくあてはまりません。
もっと体の中に入った存在でした
私が前を見れば後ろを見ていてくれ、
私が後ろを振り返れば前を見ていてくれる。
手を出した時には
既に手が伸びていて、
本当は人一倍気が強いくせに
笑顔しか見せない娘でした、
私は長く舞踏活動を休息し、
彼女は一人独自に舞踏活動を続けていました。
でも、もう
舞台には立てないんですね。
私が再び舞台に立つ時、
まず彼女に捧げねばならないと思っていました。
願わくば
共に踊りましょう。


                  【2002年廃人倶楽部チラシ文章】

    石


 表と裏しかない木の葉が、表とも裏ともいえない姿で溶け合いながら、出鱈目じゃない、一度として繰り返される事のない必然の流れをたどって落ちてくるわけだ、
 光と闇のはざ間に出没を繰り返し、目に見えぬ震えを一輪握りしめながら木の葉は落ちてくるわけだ、そうして必ず地に落ちるわけだ。

 「間をいかに持っているかで踊りが決まってくるんですよ」
 「大丈夫やってごらんなさい、大丈夫できますよ、行きたい方へ行ってごらんなさい、べつに行かなくたっていいんですけどね、行ってごらんなさい、好きな所へ。

 花が風に揺れていて回りの湿気に滲み出ていき、かすかにぶれて歩いてごらんなさい、隠れて震えている闇をそっと抱いてあげるんです。」

 「消える物が存在するんでねー、見える物は虚像なんですよ。」

 「人間はねー、残念ながら死ねないんです。」

 抱きたいと思った時にはもう空間に抱かれていてしょげ返ってしまった。
 目で追った時にはもうずーっと前から見つめられていた。
 感情に溺れてしまった時、走ってきて背中を一発叩かれ
 「陶酔するんじゃないよーっ。」と怒鳴られ、
 「20倍の速さで踊りなさい、もっと速く、100倍のスピード、遅いっ、出鱈目じゃないんですよ、一つ一つ確かにしているんです、遅いっ、もっと速く、」
 迷いだらけの様な動きから痙攣の様に成り、揺れ動く草原に捕らえられ大きな雲の流れに身を拡張され奪われていった。
 「それに関わっている意志も無くすんだーっ。
もぬけのからになるんですよっ。
そう。
そこから初めて舞踏は出発するんです。」

 
 「おいっ、火の玉、どうしたっ。」

 「先生、溺れています、
          ひどく、ゆっくりと。」



        【1986年ホモフィクタス号外(追悼土方巽)に寄せて】

舞踏への願い

私が舞踏を行うにあたってあるいは他者を指導するにあたって
切に願うのは個人の意識にその体が縛られない事です。

一つの意識が考えて考えて考えて動きや在り方が決まってくるのでは無く
解って確認できてから決まってくるのでは無く
それはやってくるものなんです、襲ってくるものなんです、

むしろ既にやって来ているものなんです、

いつまで待ってもやって来ないと言う人がいますが
意識という防御壁の中にいればそれはやって来ないでしょう

意識は無いと念じ続けるのでは無く
無垢な体が知覚する事に忙しければ良い

時空を越えた意味でのこの世に体がそっと置かれ
様々な関係性という糸に引かれ続けその身が解体され
様々な材質の空間の流れに翻弄され漂い拡がり
すっかり呆けてしまった体に
森羅万象の姿が写し出されて来る
あるいは成る、

そこに意識が介在する余地は無いのです、

無垢で呆けた鋭敏な体が有れば良い

人間は一人ぼっちにはなれないんです
物を始めた時にはもう既に終わりに着いている

その失った間地平線を取り戻すのが舞踏なんです

あらゆる対立した要素を砕いていく

成すという事は既に成されているという事

抱くという事は既に抱きしめられているように抱きしめる

扉を開くという事は体が開かれるようにして開いていく

花を見つめると花に見つめられていて既に自分自身が花になっている

体の内部は外部であり外部は内部である

ぞっとするほど正確なだらしなさを的確にする

阿呆の真似を漫然とはしない

カオスをありがたがり過ぎて捕らわれ過ぎるな
 
少し距離を置いて見つめた方が良い、
 
妄想と正気は紙一重なのだ

そんな事をしているうちに
既にはっきりした体の輪郭への意識など消えてしまっています、

空間に滲み出た変幻自在な体
それを舞踏体と呼びます、
そう在りたい、
他者にもそう在って欲しいと切に願います。

体を開くこと

ワークショップで体を開く事をやってみる、
体の様々な知覚を外に向けてまず開いてみる、感じてみる、
遠くの星を見たり、隣の部屋の物音を聞いたり
冷たい湧き水に触れてみたり
簡単そうですが、これがなかなかできない、
再現しようとする体、イメージに入っていこうとする体思考確認整理準備・・・・・・
そんな事をしているから
彼等の知覚が閉じていく、目はシャッターが降ろされていく、
目や手が何かを求めるなら
他の体の部位は全力でそれを助けてあげなければならないんです、
どの様な作業でも全身で関わるんです、
思考感情など介入している余裕は無いのです、
そういう物は後からやって来る物です、
知覚が求める事その事が愛情なんです、
そうするとその空間が確かに変わって見えてきます、
「見えない物を見せるんだ、
もともと見えてる物なんてね、誰も見てくれないんですよ、」
と先生に怒られ続けた、
その変貌する空間はその知覚の仕方により
様々な形を現す、
ここにディテールが加わると更に複雑に成るが
それは先の話ですね、
ワークショップで日常的な知覚を元にしたシンプルな作業が
できるようになってきたので、要素を増やしてみる、
そうすると音を出して崩れだす、
皮膚は死に目はただ内面にというか
思考と感情の中に溺れていく、何故何故、
内面内面って簡単に言う人がいるけど
内面を凝視するとか体の中に入っていくのって
こうして外部に体を開いていき、更に肉体化した外部から
未知の内部を見つめる事なんで、初めて入っていく事なんで、
慣れ親しんだ脳味噌や感情にたてこもる事じゃ無いんですよね、
舞踏家の目はいずれにせよ日常の目とは違いますが
閉じた目で厚く張られた膜の中で自分だけを見つめている人がいますが、
これは勘違いなんです、
開いた目とは全身が目に成っているので
目が目としての機能をはたさなくなった目です、
開け放たれた窓のカーテンが揺れる様なもので
関わる空間に引かれ揺れたりしていますが、
こうして話しているうちに
何か他のことで似た様な事を言っていたなと
考えていたら、初発の力でした、
例えば舞台でたまたま転んでしまった時
人々にその姿がとても強い印象を残す、
でもその後舞台で何度転んでもその力は二度と帰らない、
そんな事はよく有りますね、
その一回性の力を舞踏家は百回やって百回できなければいけません
と教育され実行してきました、
今考えるとなんだ同じ事だったんだ、
初発の事件は非常事態だから体の知覚が開く
二回目からは余計な物が出しゃばりだすので
体の扉が閉じられてしまう、
また、どうしたらそうできるか、
それは成るという事です、
そうしたたまたま成るべき海の中に
裸の魂のみに成り飛び込む事のみです
引きずり付いてくる観念習慣の妄執を振り捨てて、
体を開く事の大切さ痛切に感じます、
本当に欲しかった物は
疲れきって塊になってしまった体への一滴の水滴
また稽古しなくちゃ。

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]