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正朔ー舞踏 SEISAKU-BUTOH DANCE

舞踏馬鹿の独り言

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2002年CUT IN廃人倶楽部2へのインタビュー

舞踏とは生きる事、と信じる。
 
問;晩年の土方巽に師事し、舞踏活動を続けられていたわけですが、この5年程の活動の休息をおいて4月に復帰公演をなさってみて如何でしたか?
 
答;舞踏界に一切顔を出さないでいたので、浦島太郎の様な気分です。諸先輩や同時期活動していた方々が活動され続けている姿を見て、身の縮む思いがし、このブランクに対する不安というのはとても大きなものでした。

問;活動を再開するきっかけというのは?

答;沈黙の時間の間に自分の中の舞踏性が消滅し、口先だけの人間に成っていくのではという恐怖を絶えず感じていました。舞踏と生きるという事が一つの事なのだと信じ、生活する事の中にこそ舞踏が潜み舞踏性を保ち続けられるはずだと思っていましたが、舞踏から逃げたのではという意識もしだいに大きくなっていました。そんな中、長く舞踏活動を共にした関由美子が2年も前に彼女の公演前日に死を迎えていた事を知り、追悼しなければと思ったんです。最近素晴らしい公演活動を続けていた親しい劇団が諸事情により突然活動を停止せざるをえなくなり、とても有能な女優が引退を表明しました。関も彼等も真摯に舞台に向き合い続けていたのに、真っ直ぐに生きられるという事はこの世に在り得ない事なんでしょうけれども、苦しいです。そういう中での自分の怠惰さというのが、とても恥ずかしくだらしない物だと感じられ、舞台にもう一度立たなければいけないと思いました。

問;あなたにとって舞踏とは?

答;生きる事です。
私が土方先生に始めて会った時、世の中で卑しめられている者達、醜いとされている者達、罪を犯してしまった者達、ありとあらゆるマイナスとされている者達、死んでいってしまった物質、細胞、思い、命は生きる権利が有るのだと、むしろ美しい、肯定されるべきものであると教えられた時、心よりもむしろ、全身が体が狂喜するのを感じました、がんじがらめの呪縛から解き放されるのを感じたんです。

問;これからどの様な舞踏活動を目指されますか?

答;生きている事に、存在に根差した舞踏を行いたいです。この世という曖昧な世界で、生きるという訳が分からない事をし、未知の物で器を満たし、表面張力だけで形があれればという為には、緻密な採集や形作られていく作業、通気の良い肉体が必要になると思われます。全くの未熟者ですが、精進していきますので、よろしくお願いいたします。

問;次回の7月の公演、廃人倶楽部2「遠き彼方、遥か彼方からの声」はどの様な作品ですか?

答;今は何も語れません。秘密です。秘密です。秘密です。楽しみにしていて下さい。

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