舞踏馬鹿の独り言
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≪ 2004年 廃人倶楽部3「黒い風」チラシ用文章 | | HOME | | 2002年CUT IN廃人倶楽部2へのインタビュー ≫ |
私ははたして存在するのか
満開の桜の森に一人座す事を考えた時、
真っ白な強い光の球体の中に一人座した時の事を思い出した、
壁までの距離が目の前なのか遥か遠くなのか、
浮いているのか沈んでいるのか、
それすらも分からない。
私は何処にいるのか、
散り落ちてくる花びらは時をも奪う。
人は闇の中のぬるま湯に長く体を浮かべていると
発狂するとも安らぎの中に没我するとも言われているらしい。
人は他人や物との関係性を理屈付ける事によって
自己を確認したつもりになりたがるが、
生死の地平の前ではその存在は陽炎の様なものだ。
この様な事は古より普遍的問題だが、
昔の人々はその中に身を置く術や意志を
今の人々よりは明らかに持っていたのではないのか。
現在、過剰な情報、生活の方法論で麻酔を打たれ、
不可解なる存在である己を顧みる事が避けられている。
この作品を通じて、
もう一度不可解なる存在に直面し、
皆様と共に
満開の桜の散り落ちる中に埋没し消えていけたのなら、
少なくともその刹那に
指一本触れる様に
その指先の触覚の先の末端の先端の末端の先端のその先の先端の末端の
一筋の願いが天界を針で刺す様に
触れる事ができたなら
幸せです。
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