舞踏馬鹿の独り言
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昨日ビックサイトで仕事をしていると、
前日も会っていたのでいるかもしれないと、
広い会場の中を捜してくれたのかもしれません、
顔を硬くした古沢宅さんが
「五井輝が死んだって知ってるか」と言われ
「五井さんって、あの五井さんですか、えっ死んだって
私凄く世話になってるんです、凄く世話になってるんです。」
心の中で兄貴なんですと言った。
奥さんに電話をした、
とても電話で長く語るのも申し訳ない様な声で
改めて伺う事をお願いした。
土方親父と初めてワークショップの打ち上げで話をした時
隣でずっとその前から話をしていたのが五井兄貴だった
先生が誰か踊れと言って、飛び出していった踊ったことも無い私の踊りを
兄貴は良かった良かったと迎えてくれた、
二十年以上たってから、
あの時の踊りは俺の生涯で見た三本に入る、
踊りを知らなかったから踊れたんだよなと
踊りを知ってしまった俺に笑って言った。
先生と無口な兄貴と何度か酒を飲みながら席を共にさせていただいた時間嬉しかったです。
マリオンの舞踏フェスの時
誰かが五井さんどうなんでしょうって言った時
先生が窓から遠くを眺め
あいつは大丈夫、やります、やりますよ、
と言っていた、熱い信頼を感じました、
先生の死後白桃房に十年在籍し退団した後五年たち
もうこれ以上舞踏から離れたら帰ってこれないと思った時、
五井さんの大道具の仕事が回ってきました、
ご無沙汰していますと言うと「おうっ」っと昔のままに話はじめてくれ
「私また踊ります」と素直に言えました、
去年五井さんの先生の藤井公さんの記念公演で五井さんが演出して
私は大道具で入っていました、
五井さんは銅でできた重い球体を地球を担ぎ上げる神の様にして出て行きます、
バランスを計るため自分で持ち上げなければいけないといっていました、
しかし、本番で持ち上げた時腰を悪くし私に「うおーい」と呼びかけ
私は一緒に持ち体勢を整え袖から出しました、
無事に帰って来てくださいと願いました、
大ホールを渡っていき地球を降ろしセンターで踊ります
また持ち上げます知っている私達には腰がいっているのが分かります、
五井さん十歩歩いてくださいそうしたら私が飛び出します、
五歩で止まりました長い沈黙です、五井さん五井さん頑張って、
でもこれは腰なんか関係なくてモダンの客に舞踏を見せているので
私の大きな勘違いで舞踏における大歩行者を渡っているんだ、
五井さんが再び歩き始めます、五井さん後三歩二歩
客に見切れたかもしれないその瞬間に飛び出しました、
五井さんの亡くなった10日何も知らず
久しぶりに先生の夢を見ました、
いつも先生は語りかけてくれるのにその日は何も語ってはくれず
田舎のポカポカ日の当たる道を赤いミニのワンピースを着た先生と
もう一人の髪がくしゃくしゃのロン毛で頭頂の髪の薄い中年の男性が
楽しそうに話ながらずっと歩いていました、
あの人は誰なんだろうとずっと考えて終わった夢でした、
たんなる私の夢かもしれません、
でもきっと二人は仲良く話しているんでしょうね、
金曜踊りますがその最初の踊り
兄貴の為踊ります。
5月16日(金)7:30pm 開演 2000円 神田楽道庵にて。
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