舞踏馬鹿の独り言
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ワークショップや他の方の公演や日常の様々な事柄から
時々自分の体が教わったのか自然となのか
やっている謎の部分の解答が
突然解る時が有ります、
私は舞踏に対して体自体の動きや形よりも
その体によって回りの空間が変幻変形変質していく事の方が興味があります、
それをつむぎ出していく形や動きが好きです、
形や動きが似ていても体から出されてくる物が全く違う
いやむしろ塵一つ体から何も出ていない、
というような事は皆さん観客として
何度も経験がお有りでしょう、
この前ある踊り手がとても好きなんだと思います、
著名な踊り手の動きを真似た踊りを踊っていました、
私は真似るという事は全く悪い事ではないと思っています、
私も何度も他の方を真似ましたし、
実際真似しきれるものではなく、
そこに自分自身が出て来ざるをえませんからね、
その踊り手は大変動きのコピーは素晴らしかったです、
でも体が小さく見える、
踊っても踊っても空間が広がらない、
その元になった踊り手は
立っているだけで体が大きく見え
踊れば踊るほど空間が広がっていきました、
具体的に何が違うんだろう、
ある事に気がつきました、
もちろんそれが全てではありませんが、
背中に表情が無い、
これは体が行っている動きに必然性が無い為
体が一つの塊として機能していないという事の証明です、
舞踏はお客さんに見える部分を踊らせることよりも
お客さんの見えない部分で踊る事こそ重要ですし、
背後の空間をそこで知覚しなければなりません。
その時客観的に見ていて
あーそうすれば腰は定まらざるを得ないよな、
腰が定まれば下半身が自由になる、
そうすれば全身の表現として存在が大きくなる。
自分自身としてはなんとなくそうしていて
人に教える時は
背後の知覚、腰をきめる、下半身を自由にさせてやると
バラバラのテーマとして教えていましたが
これは一つの事なんだと
改めて実感しました、
腰一つにしても一朝一夕に出来るものではなく
私など根性論と舞台数で修得しましたが
今は長岡ゆり氏のおかげで具体的な訓練を
私も一弟子として教われるのは幸せです、
ただ始めたばかりの人にはこの重要性がなかなか解ってもらいずらく
身の入らない稽古は悪い癖をつけてしまいます、
みなさん大変ですけど頑張りましょう、
それと腰を作るというと他ジャンルに走る方がいますが
舞踏の腰は舞踏でしか出来ません。
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