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正朔ー舞踏 SEISAKU-BUTOH DANCE

舞踏馬鹿の独り言

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「光りと闇の舞踏祭」の為の文章

光は闇という母親の背中から生まれてきた、
なのにいかがわしい光が闇を追い出す、
その光を追い出さなければならない、
震えている闇をそっと抱いてやりなさい、
それは死ぬという事、
誕生とか死を隔離する事によって
生が青ざめてきている、
弱ってきている。
                     土方先生の言葉をまとめた。

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「帰ル」長岡ゆりによる挨拶文



ご挨拶


 皆様、今年の夏は、急激な気温の変化、台風、洪水などでかなり厳しいものになっていますが、お元気でお過ごしでしょうか?


 私たち Dance Medium の公演も、今回で7回目となります。
企画したのが今年の初め頃で、その後に大震災、そして福島の原発事故が起こりました。


 大方の表現者が、大震災の悲惨さを前にして自分たちの表現について以後どうしたらよいのかと思案に暮れたことと思います。私もその中の一人でした。この悲惨さを前にして、自分に何が出来るのかを考えました。
表現者は表現者としての仕事をするしかなく、その根本が間違っていなければその表現は世界に存在してよいのだと思えるまでにしばらく時間が必要でした。


 これでよいのだと思えるきっかけになったのは、正朔の言った言葉、それは、
「原爆が落とされたことがきっかけで舞踏ができたというヨーロッパ人たちの作ったストーリーがあるが、土方先生は、原爆なんて毎日落ちてるじゃないか!と言っていた。」
つまり私が解釈するに、真の舞踏家というものは、常に、毎日原爆が落ちている世界の中で生死を賭けて限界まで心身を使って表現するものだということだと。
常々そういった心がけで踊っていれば、どんなに外部の現象の世界が変わろうと、やるべきことは何も変わらないのです。
現に正朔は実に落ち着いて淡々としておりました。


 しかしながら、大災害、そして今も収束せぬ原発事故をきっかけに我々の意識は大きく変化したことは事実で、作品にも影響を与えることとなりました。
突然やってくる自然災害、今まで多くの人が関心を持たなかった為に起きた原発事故や、その被害者、さらなる災害への予測が考えられる日本そして地球への思い。
その中で、今多くの人々が予期せぬ生命の危機を感じていると思います。
この、人生という旅の中で一人ひとりがどういう舵取りをするのか、どこへ向かって行くのか、そんな思いを込めてタイトルは「帰ル」にしました。


絶望の後には希望、苦しみの後には喜び、破滅の後には再生と私は信じておりますが、皆さま方はそれぞれの向かう舟の舳先をどこへ向けるのか?


そんなことをこの作品を見て考えていただけたら思います。


皆様のご関心をいただけたら、そして劇場に足を運んでいただけたら、私たちの必死の思いが実ることと思います。出演者一同、心よりお待ちしております。


なお、今回の主演4人の他に、コロスのダンサーが二人参加します。
Dance Mediumのワークショップ生であるDavidと、大駱駝艦出身の春梵です。
この二人も大きな役割を振り当ててあります、
どうぞよろしくお願いします。


長岡ゆり
 

「帰ル」シーン

1景、
    災いは突然やって来る、いく重にも重層された刃は浴びせかけるように蹂躙を重ねる。
2景、
    放置された抜け殻、波間に死体は揺れ動く、抜け殻はその魂を求め旅に出る。
3景、
    振り落とされた命の欠片、壊れ物としてのわずかな命が産声をあげる。
4景、
    欠落した命と命の出会い。それらは仲の良い者では無い。しかし、求め合い、せめぎあい、別れる事が常なのか。
5景、
    命とは一人では生きられない生き物だ。欠落感によってのみ漂う事も有るだろう。餓鬼、愛を求め喰らい続ける餓鬼。
6景、
    慈しみの中に無垢な魂として戯れる童子、「お父さんは死んじゃったの」と童子は聞く。「いや 死んだのはお前の方なんだよ。私の事など忘れ、あちらの世界で幸福におなり。」
7景、
    愛する者を失い、残骸として生きる命。どこへ行ってしまったんだろう私の命は、体の残骸すらも風に巻かれて消えていく。
8景、
    全ては無に帰したのだろうか。いや闇の中にも光りや命が存在する。呟き、囁き、この世が終わったとしても命の粒子が消える事は無いのだ。
9景、
    繰り返される亡霊の生活の痕跡、それらを抱き支えるこの世、この世に災いは繰り返されるが、命はその度に活性化される。それは極めて初源的な生きる事への動機の実証なのだ。
10景、
    死してもこの世へ旅立つ事は繰り返される、崩壊とは再生の始まりなのだ。帰ろう、新たなる旅立ちへ。帰ろう、新たなる誕生へ。帰ろう、新たなる希望の大地へ。生きる事こそ、私達の真っ当なる性なのだ。

「帰ル」宣伝用文章

>>  人は苦境に追い込まれた時現実よりもその不安に苛まれ、自らその窓を塞ぎその魂を崩壊させていく事を何度も体験しました。しかし、これが集団となると、その枝葉は絡まり合い加速度的にその強度深さを増し、窓を開けようにも開けられず集団で奈落の底に落ちていく事になりかねません。3・11の震災、原発の問題の後、世界不況も絡み合った閉塞感。それぞれが自らの足で生きるという方向へ踏み出す事を強く提示しなければ崩壊への方向へ人々が穂先を向けかねないのではという危機感からこの作品を作りました。歴史を振り返り見れば、天災人災の繰り返しです。人の一生においても生老病死愛別離苦、平坦な日常の方など有り得ないでしょう。私の師、土方 巽は言いました「原爆、そんなもん毎日落ちているじゃないか」。命がこの世に置かれるという事は生死、聖邪、喜びと苦しみなど様々な相対立した要素の混濁した中に立たなければいけません。一つの極の側に立つ事など有り得ないし、そう思い込んだとしても、それは一面的な見方にしかすぎません。今回起きた事が特別な事では無く、生きるという事がそもそもどういう物なのかを極端に露呈された事件だと思っています。舞踏家の使命として舞台上において、この世という現実に体を開き自分達が存在しているその地点から生きるという誠実な一歩を歩む事により、ご覧頂いたお客様へ、より生きる事への共振がお伝えできればと願います。
>>  「帰ル」、何処へ、それは命が生まれでた所かもしれません、それは至るべき未来かもしれません、それは存在に根差したこの生きようとして一歩踏み出すこの瞬間かもしれません。帰ルべき所へ。人間はけして独りぼっちにはなれないんです。生きとし生ける者の命は全て祝福されているんです。生きとし生ける者達と共に、私達の命を支えてくれた今は亡き人達と共に、これから生まれでるであろう者達と共に、帰りましょう、生命の肯定へ。死や崩壊すら再生への始まりなんです。

「帰ル」 チラシ用文章

 Dance Medium 舞踏公演 Vol.7

「帰ル」

見上げれば銀河
見下ろせば大海原
水平線上に獣達の戦いの燐光が走り
隆起しては崩壊を繰り返す闇からの肉体
寄せては返す波に誘われて
我等何処にか帰らん  

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